不要論について思うこと
ここ数日、SNSを中心に「不要論」というワードがたくさん出てきています。 私自身も今やっていることが将来的に不要になり、仕事を失うのではないかと内心思うこともあり、かなりドキドキしています。
実際、本当に「不要」と言われているものは本当に不要なのでしょうか。
そこで2つのジャンルについて分けて考えてみたいと思います。
1. 技術やツールの不要論
レガシーな技術
今ある技術はレガシー技術に足りないということで作られたものがほとんどだと思っている。 そうなると今ある技術で十分という理由から「不要」という言葉が出てきてもおかしくないでしょう。
しかし、現に政治的な問題で他の技術への移行が難しく今も保守が続いているプロジェクトに関してはその技術を使わないといけないでしょう。 新規案件には不要なのかもしれないですが、今も使われている案件はあるので一般的に不要とはいえないのではないでしょうか。
ですが、AIの活用に基づいてリプレイス案件が増えてくるといよいよレガシー技術は不要になってくるのではないかと予想されます。
モダンな技術
そもそもレガシーとかモダンとかどう区別するべきなのか正直わかっていませんが、違った思想の技術が多くあると思っています。 特にフロントエンド界隈においては同じ時系列を並走するフレームワークやライブラリ、言語が多いと思っています。 例えば、ReactやVueなど。
ただ、これらの技術は不要なのでしょうか?
私個人的には、それらの技術は不要とは全く思っていません。
不要といっている人は、
- 自身の思想が合わない
- その技術の真相を知らない
といったことが挙げられるのではないでしょうか。 例に挙げたReactとVueは思想が違いますし、それぞれ一長一短だと思っています。
個人的な思想を押し付けるように不要論を唱えるのはちょっと違うなと思っています。 せめて好きか嫌いかに留めておくのが良いのではないかと。
歴史的背景や思想・それぞれの技術の開発者のブログを読んだ上で自分の思想と合うか合わないかを決めるのが良いのではないでしょうか。
一般的に見れば、上位互換が出てきてその技術が定着しない限り不要ではないと考えています。
2. 職業の不要論
AIの発展が加速する今、「エンジニア不要」とか「デザイナー不要」とかいう言葉を聞きますが、 ただのインプ稼ぎなのか本気で言っているのかはよくわかりませんが、私はそのようなことはないと思っています。
仕事の仕方が変わるだけでその職種がなくなるということはないと思っています。
例えば、エンジニアがいらないとしましょう。 その人たちがシステムやアプリをノウハウなしでAIを使って開発することは可能なのでしょうか。 リリースまで持っていけて精一杯で社会問題を解決できているかと言われると首を縦には触れないでしょう。 むしろ、品質が悪いであったり脆弱性が見つかったりと別の問題が出てくるでしょう。 専門職である人たちがAIを使うからこそ生産性が上がり時間に余裕ができて考えられることが増えて品質担保に時間を割けるようになるのではないかと。 なので決して職業自体がAIに淘汰されることはないと思っています。
それは、他の職種にも言えることでしょう。
まとめ
技術の不要論が正しいかどうかは一言でまとめられないですが、ケースバイケースな気がしています。 レガシーな技術の中でもその技術の問題を解消したものが出てきてそれが定着していれば当然レガシーな技術はいらないということになるでしょう。 一方で同じレイヤーで思想が違う技術に関しては好みの問題にもなるので不要論までに発展することはないのではかと。 歴史や思想を勉強していくことでこの辺は紐解けるのではないかなと思っています。
一方、職業不要は絶対にあり得ないことです。 不要になるとしたら窓際社員のような人たちや単純作業しかできない人なのかなと。
今後、AIの進化で不要論が飛び交うことが予想されますが、基本お気持ち論でしかないと思います。 自身がいかにコストを減らして生産性を産む仕組みを考えていくのが今後生きていく上で大事になるのではないでしょうか。
と偉そうなことを言っている私ですが実力がないのでかなりAIによってやっていることがなくなってしまうとビビっています🤪 生きていくべきに何をするべきなのかを脳みそを振り絞って時間をかけて考えていこうと思ってます。